陸上800mを1分51秒で走る高校生が全国インターハイ決勝進出に使用したインソールとは?~りゅうきくんの話(高校編)
TRACK&FIELD STORY
- 800m -
〈1〉男子800m予選
8月4日。
三重県伊勢市スポーツの杜陸上競技場。
全国インターハイ、大会第3日目。
午後12時45分。
男子800m予選は、8名×8組の64名で競われた。
彼が登場したのは、第8組のレース。
彼は、スタートから積極的にとばし、先頭でレースを引っ張った。
いつもの「彼らしい」走りだった。
トラックを2周し、そのまま1位でフィニッシュ。
難なく準決勝進出を決めた。
記録の1分52秒16は、全選手64名の中で、堂々の1位だった。
高2になった彼は、800mの自己ベスト記録を1分51秒61まで伸ばしていた。
全国高校ランキングで第5位の成績。
予選通過は「当然」のことだった。
〈2〉インソールの補修を
この日、川見店主は、早朝に大阪を出発し、午前中のうちに競技場へ到着していた。
もちろん、予選の彼の走りを見届けた。
そして、彼にとっては、次の「準決勝」が一番の勝負になるだろうと思った。
予選から2時間後。
川見店主と彼は、顔を合わせた。
競技場の外に並ぶスポーツメーカーN社の販売ブース。
組み立て式の簡易テーブルを挟んで、ふたりは座った。
川見店主は、彼からスパイクシューズを受け取ると、中からインソールを抜き取った。
2か月前に作成したオーダーメイド・インソールには、足指の跡がくっきりと残っており、彼がしっかりと地面をとらえて走っていることを物語っていた。
持参したはさみと表面材で、インソールを補修する。
気心の知れたN社の社員が声をかけてくる。
「へー、三重県まで来て、お世話してあげるんですね」
インソールをスパイクシューズに装着しなおし、彼に渡した。
受け取り、彼は言った。
「ここまでしてもらえるなんて。ありがとうございます」
「履き心地を確認してほしいんだけど」
「じゃあ、サブトラックで走ってきます」
彼はスパイクシューズを大事に抱え、ブースを出て行った。
真昼の光の中に包まれていく彼の背中を、川見店主はまぶしく見送った。
しばらくして、彼は帰ってきた。
額には汗がにじんでいる。
川見店主が聞いた。
「インソール、どうだった?」
「これヤバいです。坂を駆けおりるみたいに、足が勝手に前に進みます。今までで一番いい感じです」
「次の準決勝は、自分の思い描く通りに走ってね。悔いの残らないレースにしてね」
「はい、がんばります」
そう言って彼は、いつもの人懐っこい笑顔を見せた。
〈3〉男子800m準決勝
午後5時20分。
男子800m準決勝。
レースは、8名×3組の24名で競われる。
決勝に進むのは、各組2位までの6名と、タイム順で拾われる2名の、計8名の選手。
彼は第2組のレースに登場した。
この組の出場選手は、8名のうち7名は3年生で、彼ひとりだけが2年生だった。
スタートしてすぐ、彼は、みるみる遅れをとった。
はじめの100m、第2コーナーをさしかかった時には、最下位だった。
やがてオープンレーンになると、彼はグングンとスピードをあげた。
バックストレートで、前を行くすべての選手を追い抜いた。
第3コーナーを周る時には、トップに躍り出た。
それからも果敢にレースを引っ張り、いつもの「彼らしい」走りを見せた。
しかし、全国インターハイは、甘くはなかった。
600m、彼に疲れが見えはじめた。
後続の選手たちが、一気に彼を追い抜きにかかった。
3位に落ちた。
さらに、もうひとりにも抜かれそうになった。
必死に耐えた。
そのままホームストレートに入った。
残り100m。
前を行く2人の選手を猛追した。
徐々に距離は縮まった。
上位3人は、ほとんど並んだかに見えた。
そのまま3人が、フィニッシュラインになだれこんだ。
結果。
1位と2位は0.1秒差。
2位と3位は0.04秒差。
彼の記録は、1分52秒14で、第3位だった。
彼が決勝に進めるかどうかは、次の予選最終レース、第3組の記録次第だった。
その第3組のレースを客席で見届けた川見店主は、急いで大会本部に足を向けた。
決勝進出者の結果を、いちはやく知りたかったのだ。
結局、彼はタイム順で拾われ、決勝進出を決めた。
川見店主は、ホッと息をついた。
高校2年生で、よくぞ全国インターハイの決勝までたどりつけたと、彼を讃えたかった。
〈4〉男子800m決勝
翌8月4日。
全国インターハイ、大会第4日目。
午後2時。
男子800m決勝。
8名の選手が、それぞれのスタートラインに立っている。
彼の姿は、第3レーンにあった。
川見店主は、スタンドの客席で彼を見守っていた。
熱気と湿気で、じっとりと汗が流れる。
外気に触れているだけでも、体力が奪われていく気がした。
トラックは真夏の日差しを照り返し、視界を白くした。
号砲とともに、8つの背中が、まばゆい世界を駆けだした。
100mを過ぎ、第2コーナーを抜けて、オープンレーンに差しかかる。
8人の選手は、自分の位置を確保するように、ほぼ縦一列に並んだ。
200mを過ぎ第3コーナーを抜けてカーブに入ると、選手間で、抜きつ抜かれつの激しい順位争いがはじまった。
300mを通過し第4コーナーを抜ける時は、皆が団子の状態だった。
しかし、ホームストレートに入ると、ひとりの選手が明らかに遅れはじめた。
それが、彼だった。
応援する人たちは、あんなに苦しそうに走る彼を、はじめて見た。
彼と7人との距離は、どんどん開いた。
400mを最下位で通過した。
走れば走るほど、7つの背中は遠ざかっていった。
もはや、挽回の余地はないように思えた。
しかし、彼は、最後まで勝負を捨てなかった。
苦しみながら、7つの背中を追い続け、走りつづけた。
ラストの100m、ついに最後尾の選手をとらえ、抜き去った。
結果、第7位。
記録1分53秒42。
〈5〉「キミはとても幸せ」
翌日。
大阪に帰った川見店主は、彼のことを心配していた。
彼のお父さんに電話を入れてみる。
お父さんは、心やすく話してくれた。
「アイツは、川見さんがわざわざ三重県にまで来てインソールをなおしてくれたことを、すごく喜んでました。私たちも感謝しています。それに決勝のレースも、よく最後の最後まであきらめずに走ったと思います。これまでのアイツなら、勝負を投げていたでしょう」
「彼は本当によくやりましたね。でも彼自身は、7位という結果に落ち込んでませんか?」
「それがね、まだアイツとは顔を合わせてないんですよ。全国インターハイが終わって、そのまま合宿に行っちゃったもんですから(笑)」
1週間後。
合宿から帰った彼から、電話があった。
川見店主は、彼の健闘を最大に讃えた。
そして、今の気持ちを聞いた。
彼は、とても悔しいとこたえ、冷静に、決勝のレースを分析してみせた。
――他の選手はみんな、4×400mリレーのメンバーになるほどのスピードを持っていた。だから、レースが最初からスピード勝負になることはわかっていた。そのスピードが、今の自分には足りない。結果、レース展開を自分のものにする走りが、まったくできなかった。今も、時折に決勝のレースを思い起こし、胸が痛む――。
「その悔しさを忘れないでほしいな」
「はい、忘れません」
「今は思う存分に悔やんでほしい。そこからしか、次への本当のスタートは切れないから」
「はい」
「大きな目標に向かって苦しめるなんて、キミはとても幸せだね」
「あ、そうか。そう思えばいいんですね。わかりました」
高2の彼が全国インターハイで残した記録
- 男子800m予選 1分52秒16
- 男子800m準決勝 1分52秒14
- 男子800m決勝 1分53秒42
駆け抜けた「2400m」と「338秒」。
追いかけた「7つの背中」。
川見店主は、彼の大きな成長を感じていた。
それこそが、この夏が彼にもたらした最大のものだった。
◆ ◆ ◆
その後の話。
彼は、翌年の全国インターハイ男子800m決勝で5位入賞、雪辱を果たしました。
大学進学後も競技を継続中。
そんな彼に、某スポーツメーカーはシューズを贈呈してくれるらしいけど、なんと彼は、その申し出をすべて断っているそうです。
「僕のシューズはすべて、オリンピアサンワーズで合わせてもらうので」
(おわりです)
この記事は2018年9月に旧ブログで公開したものです。今回、それを加筆訂正し再公開しました。