【陸上競技】なぜ普通の男の子が全国インターハイに出場し、100mを10秒47で、200mを20秒93で走れるようになったのか?
TRACK&FIELD STORY
100m-10”47
200m-20”93
TRACK&FIELD STORY
100m-10"47
200m-20"93
〈1〉成長期にしたこと
中学生になった彼は、陸上部に入部した。
短距離走と走幅跳びに興味をもった。
お母さんは、彼にはがんばらせてあげたかったし、ケガや故障をしてほしくなかったので、ちゃんと足に合うシューズを履かせてあげようと思った。
お母さんに連れられて、彼は初めてオリンピアサンワーズにやってきた。
素直で、真面目で、快活で、話好きで、人懐っこく笑う男の子だった。
シューズをフィッティングすると、気が済むまで店内を走ってみせた。
彼はスクスクと育った。
足のサイズが大きくなるたびに、新しいシューズのフィッティングにやってきた。
川見店主は、彼の未来のために、カラダの「土台づくり」にこだわった。
日常生活で、常に「正しく立つ・歩く」姿勢を意識するよう、彼に求めた。
だから、彼が中学時代にフィッティングしたシューズ15足のうち、実にその半分は普段履き用の「歩くための」シューズだった。
こうして彼は、大事な成長期に、「正しく立つ・歩く」姿勢をカラダに叩き込んだ。
お母さんの望みどおり、彼は三年間、たいしたケガも故障もしなかった。
放課後になると、誰よりも早くグラウンドに飛び出し、一生懸命に走りつづけた。
〈2〉100m 10秒93
彼が進学した公立高校は、優秀な進学校だった。
勉学に時間を割かねばならなかった。
それでも彼は、陸上競技をつづけた。
やはり、放課後になるとグラウンドを、一生懸命に走りつづけた。
高1のシーズンが終わる頃には、100mを11秒台前半で走れるようになっていた。
中学時代から地道に意識しつづけた「正しく立つ・歩く」姿勢が、徐々に「走り」と「記録」に結びつきはじめた。
高2の秋。
彼は、ついに、100mを10秒93で走り、はじめて11秒の壁を破った。
周囲の人たちは、少なからず驚いた。
でもそれは、彼が「普通」の「公立高校」の選手だったからだ。
彼に対する、他校の先生たちの認識は、
「ああ、公立でもがんばってる生徒がいるらしいな」
という程度のものだった。
高3の春。
高校最後のシーズンを迎えた彼には、密かな決意があった。
「この夏、全国インターハイの舞台に立つ」
川見店主は、それは可能であると思っていた。
夢の舞台へ立つ準備は、誰にも知られず、大阪の小さな店のインソール工房で進められた。
川見店主は、彼のために、タイプの違う2種類のスパイクシューズを用意し、それぞれに合わせたオーダーメイドのインソールを作成した。
これまでに、彼にフィッティングしたシューズは、通算で30足を越えていた。
川見店主の手は、すでに彼の「足のかたち」を覚えていた。
走りをイメージしながら、自由自在にインソールの調整を繰り返した。
できあがった2足のスパイクシューズは、彼とともに走ってきた、6年間の集大成ともいえる「作品」となった。
彼は、カラダのコンディションと、レースの勝負感で、この2種類のスパイクシューズを使い分けることになった。
彼と川見店主は、顔を合わせる度に、全国インターハイに進むための作戦を練った。
〈3〉100m 10秒57
●5月、全国インターハイ大阪予選会
彼は男子100mにおいて、予選10秒90(組1位)、準決勝10秒86(組1位)と10秒台の自己ベスト記録を連発。
そして、決勝でも10秒90の快走を見せ4位入賞、近畿インターハイへと駒を進めた。
この時になって、ようやく大阪の陸上競技関係者は彼の名前をはっきりと認識した。
●6月、全国インターハイ近畿予選会
彼はここでも自己ベスト記録を連発した。
予選を10秒67(組1位)で通過すると、つづく準決勝をなんと10秒57(組1位)で突破、そして決勝は10秒66で堂々3位に入賞し、夢の全国インターハイ進出を決めた。
昨年までまったく「無名」だった公立高校生の快進撃に、誰もが驚き、称賛の拍手を送った
●8月、全国インターハイ
彼は、男子100mの予選を10秒68(組2位)で突破。
準決勝へ進出し10秒71(組5位)の結果を残して、高校3年間の競技生活を終えた。
〈4〉隣で走った、あの○○選手
さて。
彼が出場した、全国インターハイ近畿予選会、男子100m決勝のレースの話。
高校生の地方大会であるにもかかわらず、このレースは世間の注目を浴びていた。
トラックの周辺には報道陣があふれ、テレビカメラも数台並んでいるほどだった。
結果、彼の走る姿は、新聞やテレビやインターネットなどのメディアを通して多くの人が目にすることになった。
しかし、「目にした」とはいえ、それが「彼」であることを認識した人は多くはない。
世間が注目し、マスコミが追っていたのは、彼の「隣のレーン」を走る選手だった。
その選手は、数か月前に行われた織田記念大会で、男子100mを10秒01で走っていた。
その後、その選手が走る度に、日本人初の「9秒台」が期待されるようになっていた。
その選手は別次元の走りを見せた。
スタートの瞬間から他の選手を置き去りにし、ぐんぐんと引き離し、そのまま風を切ってフィニッシュラインを越えていった。
記録10秒17は大会新記録。
このレースを見た人たちは言う。
その選手は、あまりに速すぎた。
だから、2位以下の選手の走る姿がスローモーションのように見えたと。
あの日、あの時のレースを、彼はこんな風に話してくれる。
「近畿予選の決勝も、全国インターハイの準決勝のレースも、僕の隣のレーンを走ったのは、あの桐生選手だったんですよ。僕がスタートして真っ先に見える景色が、いつも桐生くんの背中でした。走るたびに彼が速すぎて、笑うしかないって感じですよ(笑)」
〈5〉100m 10秒47分
全国インターハイが終わると、彼は普通の高校生にもどった。
そして、受験勉強をはじめた。
陸上競技の強豪大学からは、「ぜひ我がチームに」との声もかかっていたそうだ。
しかし、彼には他に目指すものがあった。
一般試験を受けて、希望の大学へと道を進めた。
今、彼は関東でひとり暮らしをする。
もちろん研究に時間を割かねばならない。
いずれは国家試験を受けることになる。
それでも陸上競技をつづけている。
シューズもやはり、大阪に帰ってきては、当店でフィッテングする。
その数は、50足を越えた。
今日も授業が終わると、大きなカバンを背に、練習場にかけつける彼の姿がある。
自己ベスト記録は、100mを10秒47、200mを20秒93まで更新している。
(おわりです)
この記事は2017年9月に旧ブログで公開したものです。今回、それを加筆訂正し再公開しました。