【陸上競技】800mを1分52秒で走り全国インターハイに出場した高校生の25足のシューズとインソールとは?

TRACK&FIELD STORY
800m

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800m

〈1〉全国インターハイの舞台で

7月某日。
岡山県シティライトスタジアム。

男子800m準決勝のレースがはじまろうとしている。
彼は、念願だった全国インターハイの舞台に立っていた。
その姿は第2レーンのスタートラインにある。
スタンドには彼を見守っている人たちがいる。
チームメイトと、彼のお父さんとお母さんと、そして川見店主と。

ピストルの号砲とともに、彼は勢いよくスタートを切った。

〈2〉全中の800mで2分切るよね?

彼が初めてオリンピアサンワーズにやって来たのは、中3の春だった。
専門種目は800m。
自己ベスト記録は2分04秒
目標は、全中(全日本中学校陸上競技選手権大会)に出場すること。
しかし、足に痛みを感じていて、思い切り走れなくなっていた。
それを心配したお母さんが、色々と調べて当店を見つけてくれたのだ。

川見店主は、彼の800mの記録を聞くと、思った。

「彼は今一番シンドイところにいるな。800mで2分を切って走らせてあげたいな。そこまでいけば、もっと楽に速く走れることを、彼は身体で感じるだろう。全中出場は、結果として、おのずとついてくるだろう。

この時、彼には、1足のスパイクシューズと、2足のランニングシューズをフィッティングした。
すると、彼の足の痛みはどこかに消えた。
そして、急速にタイムが伸びていった。
2か月後、彼は、800mの記録を2分01秒自己ベストを3秒も更新し、念願の全中出場を決めた。

全中出場決定の話を聞いた川見店主は、800mでの「2分切り」にこだわった。
彼が店に来るたびに、川見店主は言いつづけた。

「全中の800mで、2分切るよね?」

会う度になんやかんやと言われる彼は、川見店主のことを少々苦手に感じていた。
横でお母さんは「もっと言ってやってください」と笑っていた。

そして迎えた、8月の全日本中学校陸上競技選手権大会。
彼は、男子800m予選を、またもや自己ベストを3秒も更新する1分58秒75で走り、遂に2分切りを達成、準決勝進出を果たした。
スタンドで観戦していたお母さんは、レースが終わるとすぐ、川見店主に電話をかけた。
お母さんの喜びと興奮は、受話器からも十分に伝わってきた。

〈3〉800m 1分55秒93

彼は中学校を卒業すると、陸上競技の強豪高校に進学した。

彼はレースでゴールすると、そのまま意識を失って、ぶっ倒れてしまうことが、よくあった。
一旦走りはじめると、自分のすべてを出し尽くさずにはいられないのだ。
だから、彼がレースで走る時には、いつどこでぶっ倒れても助けに行けるように、チームメイトがトラックの各コーナーで待機するようになった。

そんな彼は、何をやっても、思いっきり「成功」するか「失敗」するかの、ふたつにひとつだった。
周囲の人たちは、いつもハラハラしながら、彼を見守った。
そして、彼が出す結果に、どちらかの言葉を口にすることになった。
成功した時は「彼は、またやってくれた!」
失敗した時は「彼は、またやってしまった!」

色んな成功と失敗を繰り返しながらも彼の記録は伸びつづけた。
高2までの彼は、こんな素晴らしい成績を残している。

  • 大阪高校総体 男子1年 800m優勝
  • 大阪高校総体 男子2年 1500m優勝
  • 近畿ユース  男子2年 1500m3位
  • 全国高校駅伝大阪予選会 区間1位

800mの記録は、1分55秒93まで伸びていた。

川見店主は、何をしでかすかわからない、彼の未知数が楽しみだった。
中3から高3までの3年間で、川見店主が彼にフィッテングしたシューズは、20足を越えた。
彼が来店するたびに、調子を聞き、課題を話し合い、目標を共有し、彼の視線で彼の未来を見た。
その先には、全国インターハイの舞台が、ずっと彼を待っていた。

中学~高校時代に彼がフィッティングしたシューズ

〈4〉800m 1分52秒86

4月。
彼は高3になった。
全国インターハイへの出場を賭けた、高校最後のトラックシーズンを迎えていた。
勝負するスパイクシューズは、ちょうど25足目のフィッティングとなった。
川見店主は、彼の走りをイメージしながら、祈るような気持ちでインソールを作った。

6月。
近畿インターハイ。
彼はまず男子800mの予選を、組1位で軽々突破した。
つづく準決勝のレースは、記録1分54秒28と自己ベストを1秒更新してゴールした。
しかし、組運が悪く順位を3位に落としてしまった。
決勝へ進出できるのは、組2位までの選手6名と、タイム順で選ばれる選手2名の、計8名だけだ。
この時点で、彼が決勝へ進出する可能性は、きわめて低かった。
全国インターハイ出場の夢は、消えたかに思えた。
周囲の人たちは、内心こう思っていた。

「ああ、彼は、またやってしまった」

しかし、彼は、何かを「持っていた」。
タイムで拾われる最後の「8人目の選手」として、決勝進出を果たすことになったのだ。
周囲の人たちは胸をなでおろした。

そして、決勝のレース。
「8人目の選手」である彼は、大方の予想をくつがえし、なんと3位でゴールする大逆転劇を演じて、全国インターハイ進出を決めた。
しかも記録は1分52秒86と、前日の準決勝から、2秒近くも自己ベストを更新していた。

ゴールした時、彼はスタンドに向かって大きく両手を広げ、「やったぞー!」と叫んだ。
それを見ていた周囲の人たちは、驚きと称賛をあの言葉で表した。

「ああ、彼は、またやってくれた!」

〈5〉最後の全国インターハイ

7月。
全国インターハイ。

この日、川見店主は早朝から車を飛ばした。
向かったのは、岡山県シティライトスタジアム。
この夏の全国インターハイの舞台だ。
川見店主は、午前中のうちに競技場に到着した。

昼過ぎ、彼が出場する男子800m予選がはじまった。
ここでも彼は、予選3位と順位を落とした。
さすがに今回ばかりは、準決勝へ進むのが不可能に思えた。
周囲の人たちは、こう言わざるを得なかった。

「ああ、彼は、またやってしまった」

しかし、やはり、彼は何かを「持っていた」。
またもや、タイムで拾われる最後のひとり「24人目の選手」として、彼は準決勝に生き残ったのだ。
周囲の人たちは、もう笑うしかなかった。

「ああ、彼は、またやってくれた!」

〈6〉目を覆いたくなるような光景

――話は、冒頭のシーンに戻る。

こうして迎えた、全国インターハイ男子800m準決勝のレース。

最もインコースの第2レーンから、彼は勢いよくスタートを切った。
はじめのカーブを積極的に攻めた。
前方を走る7名の選手たちを追い抜きにかかる。
第2コーナーを周ったとき、彼の姿は2番手に浮上していた。
オープンコースとなり、選手達の間に、静かで熾烈な攻防がはじまる。
抜きつ抜かれつの小さな順位変動を繰り返しながら、選手たちはトラックを1周。
400mの時点で、彼の姿は3番手にあった。
彼は、2周目の第1コーナーにさしかかった。
各選手のギアは、明らかにチェンジした。
勝負を決めるスピードへと、一気にペースアップした。

と、その時。

川見店主も、彼のお父さんもお母さんも、一瞬、目を覆いたくなるような光景を見た。
後続の選手が、彼に接触した。
彼の体は、不意に突きとばされたように、集団からはじかれた。
バランスを崩してよろけ、両手は空を掻いた。
斜(ななめ)めにつんのめりながら、アウトコースへ突っ込んでいく。

あぶない!転倒する!

スタンドの観衆から、「あぁぁ」というため息が漏れた。
しかし、彼は、なんとか踏みとどまった。
順位は、6位まで落ちた。
体勢を立て直し、前を行く集団を猛追した。
ふたたび3番手に浮上した。
でも、もう、力は残っていなかった。
徐々に後退していった。
7位でゴールした。
そして、トラックに倒れ込んだ。

〈7〉走りつづけた姿に

レース後。

川見店主は、彼のお母さんと、スタンドで顔を会わせた。

「厳しいレースでしたね」と、川見店主は言った。

「あの子は、またやってしまいました」と、お母さんはこたえた。

「でも、彼は、最後まであきらめませんでしたね」と、川見店主はつづけた。

お母さんは、笑顔を返して、こう言った。

「こうして、私たちを全国大会の舞台にまで連れてきてくれた、あの子に感謝しています」

力尽きるまで走りつづけた彼の姿は、観る者すべての胸を打った。
レースのハラハラとした興奮と、感動の余韻が、まだ生々しく川見店主には残っていた。

川見店主は、こたえた。

「本当に、彼は、やってくれますね

◆ ◆ ◆

彼が走れば、何かが起こる。
彼の名はR太郎くん。

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スズキアスリートクラブのHPより

この記事は2017年6月に旧ブログで公開したものです。今回、それを加筆訂正し再公開しました。

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