【第9章】

消えたハリマヤシューズを探して

本編はWebスポルティーバでお読みください
【全5回】
↓↓↓

―第1回―
『陸王』を地で行く足袋職人のシューズ

―第2回―
日本初五輪選手は足袋で世界に挑んだ

―第3回―
日本の足袋が世界のマラソンを制した

―第4回―
草創期の箱根駅伝を足袋職人が支えた

―第5回(最終回)―
シューズ職人魂。あるスポーツ店の物語

ドラマ『陸王』に通じる日本のシューズ職人魂。
あるスポーツ店の物語。

あるとき、東京のハリマヤ本社に、大阪の陸上競技シューズ専門店の女店主が現金を持って買い付けにやってきた。1970年頃の話で、関西の学生ランナーには一風変わった店として知られた 「オリンピアサンワーズ」の上田喜代子だった。

上田喜代子
(1924-1986)

オリンピアサンワーズの店内には売り物のシューズは陳列されておらず、ひとり店番をしている上田は、お客がほしいというシューズを売らないことで有名だった。客が希望のシューズを告げると、こんな風に返される。

「記録なんぼや?そんなタイムじゃ、あんたには、まだそのクツは早い!」

そういって上田は自分が客に見立てたシューズを奥から出してくる。色が気に入らないとか、他のメーカーがいいとか、客に文句は言わせない。

しかし、その店は不思議とランナーたちを惹きつけた。なぜならば、上田が勧めるシューズは足にしっくりきて、実際に自己ベストを更新できたからだ。

「選手のレベルや足に合ったシューズを選ぶのが私の仕事だと。ほしいと言われても合わない靴は売らないんです」

オリンピアサンワーズ2代目店主の川見充子が、在りし日の初代店主を回想する。

オリンピアサンワーズ川見あつこ店主
二代目店主
川見あつこ

「上田は近畿大会や全国大会に行く選手たちに、自分よりも速い選手はどんな靴を履いてるか見てこいと命じていたんです。どんなラインやった? メーカー名も聞いてこいって。それがハリマヤとの出会いだったんです」

当時、関西の陸上界ではあまり知られていなかったハリマヤシューズだが、東京に買い付けに行って以来、上田はハリマヤの足入れのよさに惚れ込み、関西でハリマヤを広めるのに一役買うことになった。

「靴のアッパー部を靴下のように袋縫いしているのはハリマヤだけだったんです。シューズに足を入れると足が包みこまれる感覚。ハリマヤのフィット感がいいのは足袋が基本だからだと思います」(川見)

上田はハリマヤに特注して店のオリジナルシューズも作った。陸上部の中学生が、通学にも部活にも使えるようなランニングシューズを依頼した。白地のボディに白ラインのデザインであれば、校則が厳しくても通学に使える。もちろん職人の手による国産シューズだ。

オリンピアサンワーズの特注ハリマヤシューズ

1986年、上田が急逝し、店の常連客だった川見が2代目店主を引き継いで数年たった頃だった。スポーツ用品の業界内にハリマヤが倒産しそうだという噂が流れた。

「ハリマヤさんが危ないよって言われて、他のお店は慌ててメーカーに返品を申し出たんですが、私はいろんなものをとっとかなあかんと、逆に取り寄せたんです。ハリマヤは本当に日本人の足型に合った靴なので、将来必ず必要になるときがやってくると思って集めておいたんですよ」

いったいなぜ、ハリマヤは忽然と姿を消してしまったのだろうか。

今回の取材で黒坂辛作の縁者や当時のハリマヤ関係者にあたったが、そのことについては誰もが口が重かった。当時の事情を知る者も少なくなり、倒産について誰かが責められるものでもないだろう。

日本中がバブル景気に沸き、多くの人々が財テクに走ったあの時代。ハリマヤもまた、本業のシューズ製造とはかけはなれた不動産事業や飲食事業などに手を出したようだ。しかしバブルの終焉とともに、それらは露と消え、ハリマヤ本体のシューズ製造もまた88年の歴史に幕を降ろすことになった。

ハリマヤのカタログ(1989)

ハリマヤがこの世から姿を消して25年が経とうとしている。

オリンピアサンワーズはいまだに 「客がほしいシューズを売ってくれない店」として関西の陸上界では有名で、2代目を継いだ川見は、オーダーメイドのインソールを製作するシューフィッターとして知られた存在だ。

ランナーの足型に合わせたインソールを作ることで、シューズのフィット感を向上させる。そのインソールを装着すれば、より一体感が生まれ、自己記録の更新だけでなく、ケガの防止にもつながる。

川見が 「将来必ず必要になるときがやってくる」と残しておいたハリマヤのシューズは今なお大切に保管されており、このインソール作りへとつながっている。

「ハリマヤはシューズの木型がいいんです。それはきっと足袋の木型が原型だからです。足袋は履いたときシワが寄ってしまってはいけない。足袋職人だった黒坂さんのそうした繊細な木型作りが、日本人の足型に合ったシューズを生んだのだと思います。足袋から始まって、足袋のようにフィットして、足袋のように軽く、足袋のように薄くと追求していったから、ハリマヤの技術は高かった。だから私は黒坂さんの足袋が、日本のマラソンシューズの原型なんやと思います」

ハリマヤのマラソンシューズ

川見は、今も残念そうにこう語る。

「あの頃のハリマヤの木型、どこへいってしまったんやろ。あの木型さえあれば……。もしも今の時代にハリマヤのシューズを再生できたら、私のインソールと合わせれば最高の1足が出来上がるのに」

倒産時の混乱で四散したであろうハリマヤシューズの木型の行方は、今となっては知るすべもない。しかし黒坂辛作が改良に改良を重ねて作ったマラソン足袋の精神は、今なお川見のなかにしっかりと引き継がれていた。

編集メモ

  • 短期連載『消えたハリマヤシューズを探して』は、2016年7月に発刊された小説『陸王』のタイアップ記事として、約2か月にわたり(2016/7/9~9/21)集英社「Webスポルティーバ」に公開されました。
  • 川見店主が取材を受けたのは、2016年6月。まだ『陸王』はこの世に出ていませんでした。
  • 2017年秋には『陸王』がテレビドラマ化され話題に。この短期連載はふたたび注目され、ここに紹介した川見店主が登場する連載5回目の記事がヤフーニュースで取り上げられるなどの反響がありました。
  • Webスポルティーバ本編に掲載されているハリマヤのシューズや、黒坂辛作さんの新聞記事など、多くの画像はオリンピアサンワーズで撮影されたものです。
  • 綿密な取材でハリマヤの歴史を発掘されたスポルティーバ編集長I氏に感謝申し上げます。

【第9章】

消えたハリマヤシューズを探して

本編はWebスポルティーバでお読みください【全5回】
↓↓↓

―第1回―
『陸王』を地で行く
足袋職人のシューズ

―第2回―
日本初五輪選手は
足袋で世界に挑んだ

―第3回―
日本の足袋が世界の
マラソンを制した

―第4回―
草創期の箱根駅伝を
足袋職人が支えた

―第5回(最終回)―
シューズ職人魂。あるスポーツ店の物語

ドラマ『陸王』に通じる日本のシューズ職人魂。
あるスポーツ店の物語。

あるとき、東京のハリマヤ本社に、大阪の陸上競技シューズ専門店の女店主が現金を持って買い付けにやってきた。
1970年頃の話で、関西の学生ランナーには一風変わった店として知られた 「オリンピアサンワーズ」の上田喜代子だった。

上田喜代子
(1924-1986)

オリンピアサンワーズの店内には売り物のシューズは陳列されておらず、ひとり店番をしている上田は、お客がほしいというシューズを売らないことで有名だった。
客が希望のシューズを告げると、こんな風に返される。

「記録なんぼや?そんなタイムじゃ、あんたには、まだそのクツは早い!」

そういって上田は自分が客に見立てたシューズを奥から出してくる。
色が気に入らないとか、他のメーカーがいいとか、客に文句は言わせない。

しかし、その店は不思議とランナーたちを惹きつけた。なぜならば、上田が勧めるシューズは足にしっくりきて、実際に自己ベストを更新できたからだ。

「選手のレベルや足に合ったシューズを選ぶのが私の仕事だと。ほしいと言われても合わない靴は売らないんです」

オリンピアサンワーズ2代目店主の川見充子が、在りし日の初代店主を回想する。

オリンピアサンワーズ川見あつこ店主
二代目店主
川見あつこ

「上田は近畿大会や全国大会に行く選手たちに、自分よりも速い選手はどんな靴を履いてるか見てこいと命じていたんです。どんなラインやった? メーカー名も聞いてこいって。それがハリマヤとの出会いだったんです」

当時、関西の陸上界ではあまり知られていなかったハリマヤシューズだが、東京に買い付けに行って以来、上田はハリマヤの足入れのよさに惚れ込み、関西でハリマヤを広めるのに一役買うことになった。

「靴のアッパー部を靴下のように袋縫いしているのはハリマヤだけだったんです。シューズに足を入れると足が包みこまれる感覚。ハリマヤのフィット感がいいのは足袋が基本だからだと思います」(川見)

上田はハリマヤに特注して店のオリジナルシューズも作った。陸上部の中学生が、通学にも部活にも使えるようなランニングシューズを依頼した。
白地のボディに白ラインのデザインであれば、校則が厳しくても通学に使える。
もちろん職人の手による国産シューズだ。

オリンピアサンワーズの特注ハリマヤシューズ

1986年、上田が急逝し、店の常連客だった川見が2代目店主を引き継いで数年たった頃だった。
スポーツ用品の業界内にハリマヤが倒産しそうだという噂が流れた。

「ハリマヤさんが危ないよって言われて、他のお店は慌ててメーカーに返品を申し出たんですが、私はいろんなものをとっとかなあかんと、逆に取り寄せたんです。ハリマヤは本当に日本人の足型に合った靴なので、将来必ず必要になるときがやってくると思って集めておいたんですよ」

いったいなぜ、ハリマヤは忽然と姿を消してしまったのだろうか。

今回の取材で黒坂辛作の縁者や当時のハリマヤ関係者にあたったが、そのことについては誰もが口が重かった。
当時の事情を知る者も少なくなり、倒産について誰かが責められるものでもないだろう。

日本中がバブル景気に沸き、多くの人々が財テクに走ったあの時代。
ハリマヤもまた、本業のシューズ製造とはかけはなれた不動産事業や飲食事業などに手を出したようだ。
しかしバブルの終焉とともに、それらは露と消え、ハリマヤ本体のシューズ製造もまた88年の歴史に幕を降ろすことになった。

ハリマヤのカタログ(1989)

ハリマヤがこの世から姿を消して25年が経とうとしている。

オリンピアサンワーズはいまだに 「客がほしいシューズを売ってくれない店」として関西の陸上界では有名で、2代目を継いだ川見は、オーダーメイドのインソールを製作するシューフィッターとして知られた存在だ。

ランナーの足型に合わせたインソールを作ることで、シューズのフィット感を向上させる。
そのインソールを装着すれば、より一体感が生まれ、自己記録の更新だけでなく、ケガの防止にもつながる。

川見が 「将来必ず必要になるときがやってくる」と残しておいたハリマヤのシューズは今なお大切に保管されており、このインソール作りへとつながっている。

「ハリマヤはシューズの木型がいいんです。それはきっと足袋の木型が原型だからです。足袋は履いたときシワが寄ってしまってはいけない。足袋職人だった黒坂さんのそうした繊細な木型作りが、日本人の足型に合ったシューズを生んだのだと思います。足袋から始まって、足袋のようにフィットして、足袋のように軽く、足袋のように薄くと追求していったから、ハリマヤの技術は高かった。だから私は黒坂さんの足袋が、日本のマラソンシューズの原型なんやと思います」

ハリマヤのマラソンシューズ

川見は、今も残念そうにこう語る。

「あの頃のハリマヤの木型、どこへいってしまったんやろ。あの木型さえあれば……。もしも今の時代にハリマヤのシューズを再生できたら、私のインソールと合わせれば最高の1足が出来上がるのに」

倒産時の混乱で四散したであろうハリマヤシューズの木型の行方は、今となっては知るすべもない。
しかし黒坂辛作が改良に改良を重ねて作ったマラソン足袋の精神は、今なお川見のなかにしっかりと引き継がれていた。

編集メモ

  • 短期連載『消えたハリマヤシューズを探して』は、2016年7月に発刊された小説『陸王』のタイアップ記事として、約2か月にわたり(2016/7/9~9/21)集英社「Webスポルティーバ」に公開されました。
  • 川見店主が取材を受けたのは、2016年6月。まだ『陸王』はこの世に出ていませんでした。
  • 2017年秋には『陸王』がテレビドラマ化され話題に。この短期連載はふたたび注目され、ここに紹介した川見店主が登場する連載5回目の記事がヤフーニュースで取り上げられるなどの反響がありました。
  • Webスポルティーバ本編に掲載されているハリマヤのシューズや、黒坂辛作さんの新聞記事など、多くの画像はオリンピアサンワーズで撮影されたものです。
  • 綿密な取材でハリマヤの歴史を発掘されたスポルティーバ編集長I氏に感謝申し上げます。

ご投稿いただいた内容は「【第7章】みんなと語るハリマヤの思い出」のページに公開させていただきます。

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オーダーメイドを極めた
最高級のインソール技術

当店が作成するオーダーメイドのインソール(中敷)は、 アメリカに本社のあるアムフィット社製。あなたの足型をインソール上に再現する画期的なシステムが足とシューズのジャストフィットを実現します。パフォーマンスアップ、ケガや故障の防止、疲労軽減、アライメント補正など多くの効果が実証されています。

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最高級のインソール技術

当店が作成するフルオーダーメイドのインソール(中敷)は、 アメリカに本社のあるアムフィット社製。あなたの足型をインソール上に再現する画期的なシステムが足とシューズのジャストフィットを実現します。パフォーマンスアップ、ケガや故障の防止、疲労軽減、アライメント補正など多くの効果が実証されています。

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