【第5章】

ハリマヤ・ストーリー
あの日の少年は
今も走りつづけている

「あの日が、僕のランナーとしてのはじまりです」

そう言って、A先生は、それをカバンから取り出した。
見開きB4サイズのカタログ。
表紙には「ハリマヤのカナグリマラソンシューズ」の文字。
印刷はところどころが剥げている。
端々はちぎれて破損している。
継ぎはぎをしたセロテープも劣化して変色し、このカタログが越してきた年月を物語っている。

少年は、走ることが好きだった。
体は大きくはなかったが、足には自信があった。
中学生になると陸上部に入部した。
毎日、日が暮れるまで走りつづけた。

ある日、彼の姿を見ていた先輩が、こんなことを教えてくれた。

「キミはがんばってるんだから、そろそろ本格的なランニングシューズで走った方がいい。大阪の天王寺区に陸上競技の専門店がある。その店に行けば、キミに合ったランニングシューズを選んでくれるよ」

ただし、とその先輩は付け加えた。

「その店のおばちゃんは、めちゃめちゃコワいぞ。店に入るときに挨拶をしないと中に入れてくれないぞ。挨拶するのを忘れて、そのまま店の入口で帰らされたヤツもいるんだ。礼儀正しく、失礼のないようにするんだぞ」

先輩は、その店までの地図と紹介状を書いて、彼に渡してくれた。

少年は、電車を乗り継いで店に向かった。
国鉄大阪環状線の桃谷駅で下車した。
先輩からもらった地図と紹介状を握りしめていた。
見慣れない町を、緊張しながら歩いた。

しばらくすると、地図に書いてあるとおりの場所にたどりついた。

オリンピアサンワーズの初代桃谷店舗
1960年頃から1991年まで営業

建物の1階にあるその店には、看板がなかった。
どこから店に入っていいのかもわからなかった。
およそ、スポーツ店には見えなかった。
とにかく、目の前の引き戸を思い切って開けてみた。

店の引き戸は重かった。みな、緊張して手をかけた(1991年撮影)

「こんにちは!失礼します!」

大きな声で挨拶をした。
店にたどり着くまでの道中で、頭の中で何回も練習したとおり、深々とお辞儀をするのも忘れなかった。

狭い店の真ん中には古い木の机が置いてあり、その向こうに、メガネをかけたおばちゃんがひとり座っていた。

上田喜代子(1924-1986)
オリンピアサンワーズ創業者

「アンタ、誰や?」

おばちゃんは言った。

「○○中学校の、Aといいます!」

「何しにきたんや?」

「はい、走るクツが欲しくてやってきました!」

「よっしゃ、はいり」

彼は、おそるおそる、店内に足を踏み入れた。
先輩が書いてくれた紹介状を、おばちゃんに手渡した。
おばちゃんは、それに目を通すと、彼に言った。

「種目は?」

「長距離をやっています!」

「なにをなんぼで走るんや?」

彼は最近の試合で出場した種目と記録を伝えた。

「ふーん、ちょっと、足、見せてみ」

彼は靴を脱いだ。
おばちゃんは、じっと、彼の足を見つめた。

「……そこの棚の、そう、その箱を出してみ」

店内の四方の壁には、ベニヤ板で棚がしつらえてあった。
その棚には、いくつもの箱が積まれていた。
箱に印刷された文字が、彼の目に飛び込んでくる。

「オニツカタイガー」
「ハリマヤ」
「ニシ」

そこには、彼がいつの日か履いてみたいと憧れていたスポーツメーカーのシューズの箱が、整然と並んでいた。

彼は、おばちゃんに言われるままに指で棚をたどり、ひとつの箱を抜きとった。
箱の中から出したシューズは、真っ白に光って見えた。
シューズに見とれていると、おばちゃんがうながした。

「ええから、ちょっと履いてみ」

彼は黙ってシューズに足を入れてみた。
おばちゃんは立ち上がると、机の前に進み出てきてくれた。
腰を曲げてかがみ、ちょんちょんと彼のつま先に触れて言った。

「アンタには、そのクツやな」

おばちゃんは、机の向こうに戻っていって、ふたたびイスに座った。
彼は他にも色んなシューズを見てみたい気がしたけれど、おばちゃんがコワくて何も言えなかった。

少年は、その店にシューズを買いに行くようになった。

店に行くときには相変わらず緊張した。
おばちゃんは、いつもコワわかった。
おばちゃんが選ぶシューズには、いつも黙って足を入れた。
そして、シューズはいつも、不思議なくらいに、自分の足にピッタリだった。
彼は、おばちゃんに会いに行くのが楽しみになっていた。

桃谷店舗の店内から撮影したもの
字体に時代が表れている(1991年撮影)

いつ頃からか、おばちゃんは、彼の名前を呼ぶときには「さん」も「くん」もつけず、「A」と呼び捨てにするようになった。
そのことは、おばちゃんと自分との親しさの表れのようで、彼にはうれしかった。

ある日、おばちゃんは、

「A、これ持っていき」

と真新しいカタログを少年に渡した。
「ハリマヤ」の最新カタログだった。鮮やかなフルカラーに目を奪われた。

彼は、うれしかった。
おばちゃんに「一人前」のランナーとして認めてもらえたような気がした。
カタログを小脇に抱え、誇らしい気持ちで家路についた。
飽きることなく、何度も何度も、そのカタログを見返した。

少年は、小学校の先生になった。

教師の仕事は忙く、慌ただしい日々が過ぎて行った。
それでもA先生は、毎日走ることを怠らなかったし、練習日誌をつけることも欠かさなかった。
練習日誌に使うノートの最後のページには、おばちゃんにもらった、あのハリマヤのカタログを挟んでおいた。
それを見れば、ランナーとしての自分を見失わない気がした。

ランニングシューズをはき潰すと、A先生は、やはり、あの店へと足を運んだ。
そして、おばちゃんが選ぶシューズに黙って足を入れた。

「おばちゃんが選ぶシューズには間違いがない」

それが、A先生がシューズを選ぶ唯一の基準になっていた。

「先生」と呼ばれる仕事に就いてからも、おばちゃんは以前と変わりなく接してくれた。
相変わらず、「なぁ、A」と、名前は呼び捨てにされていた。
いくつになっても、それは心地よいことだった。
おばちゃんの前では、本当の自分でいられるような気がした。

おばちゃんが亡くなったと聞いたときは、とても悲しかった。
自分を支えていた何かをひとつ失ったような気持ちになった。

おばちゃんの店は、ある女性が継ぐことになったと風の噂で聞いた。

オリンピアサンワーズ川見あつこ店主
二代目店主
川見あつこ

その女性のことは、あまりよく知らなかった。

「あのおばちゃんが選んだ人だから、間違いないはずだ。でも、新しい店主は、おばちゃんの遺志を継げるだろうか?店は変わってしまわないだろうか?なにより、僕に合ったシューズを選ぶことができるだろうか?」

A先生は、ひとつの「覚悟」を決めた。

「よし、これからも、あの店でシューズを買おう。それがおばちゃんへのせめてもの供養になるだろう。そして、新しい店主がすすめるシューズは、どんなシューズだって、黙って履くことにしよう。ただし、」

A先生は、その覚悟に「期限」を定めた。

「それはこれから1年間だけだ。1年経って、新しい店主のやり方に納得しなければ、残念ながら、僕があの店に行くことはなくなるだろう」

それから1年後も、10年後も、20年後も、30年後も、そして、今も。
あの日の少年は走りつづけている。
そして、ランニングシューズをはき潰せば、オリンピアサンワーズに足を運ぶ。

「これまでの人生、僕がずーっと走ってこれたのは、二代目を継いだ川見店主のシューズ選びもまた、間違ってなかったからです。それを見極めた僕もまた間違ってなかった、てことでしょう(笑)」

A先生は、ずっと練習日誌を書きつづけている。
もう何十冊になったのかわからないが、そのノートはすべて残してあるそうだ。

「おばちゃんにハリマヤのカタログをもらった、あの日が、僕のランナーとしてのはじまりです。このハリマヤのカタログは、練習日誌のノートが変わるたびに、一番最後のページに貼っておくことにしています。ランナーとしての"初心"を、決して忘れないように」

編集メモ

  • オリンピアサンワーズの旧ブログ2014年6月7日付(その1)、9日付(その2)に公開した記事に加筆しました。

【第5章】

ハリマヤ・ストーリー
あの日の少年は
今も走りつづけている

「あの日が、僕のランナーとしてのはじまりです」

そう言って、A先生は、それをカバンから取り出した。
見開きB4サイズのカタログ。
表紙には「ハリマヤのカナグリマラソンシューズ」の文字。
印刷はところどころが剥げている。
端々はちぎれて破損している。
継ぎはぎをしたセロテープも劣化して変色し、このカタログが越してきた年月を物語っている。

少年は、走ることが好きだった。
体は大きくはなかったが、足には自信があった。
中学生になると陸上部に入部した。
毎日、日が暮れるまで走りつづけた。

ある日、彼の姿を見ていた先輩が、こんなことを教えてくれた。

「キミはがんばってるんだから、そろそろ本格的なランニングシューズで走った方がいい。大阪の天王寺区に陸上競技の専門店がある。その店に行けば、キミに合ったランニングシューズを選んでくれるよ」

ただし、とその先輩は付け加えた。

「その店のおばちゃんは、めちゃめちゃコワいぞ。店に入るときに挨拶をしないと中に入れてくれないぞ。挨拶するのを忘れて、そのまま店の入口で帰らされたヤツもいるんだ。礼儀正しく、失礼のないようにするんだぞ」

先輩は、その店までの地図と紹介状を書いて、彼に渡してくれた。

少年は、電車を乗り継いで店に向かった。
国鉄大阪環状線の桃谷駅で下車した。
先輩からもらった地図と紹介状を握りしめていた。
見慣れない町を、緊張しながら歩いた。

しばらくすると、地図に書いてあるとおりの場所にたどりついた。

オリンピアサンワーズの初代桃谷店舗
1960年頃から1991年まで営業

建物の1階にあるその店には、看板がなかった。
どこから店に入っていいのかもわからなかった。
およそ、スポーツ店には見えなかった。
とにかく、目の前の引き戸を思い切って開けてみた。

店の引き戸は重かった。みな、緊張して手をかけた(1991年撮影)

「こんにちは!失礼します!」

大きな声で挨拶をした。
店にたどり着くまでの道中で、頭の中で何回も練習したとおり、深々とお辞儀をするのも忘れなかった。

狭い店の真ん中には古い木の机が置いてあり、その向こうに、メガネをかけたおばちゃんがひとり座っていた。

上田喜代子(1924-1986)
オリンピアサンワーズ創業者

「アンタ、誰や?」

おばちゃんは言った。

「○○中学校の、Aといいます!」

「何しにきたんや?」

「はい、走るクツが欲しくてやってきました!」

「よっしゃ、はいり」

彼は、おそるおそる、店内に足を踏み入れた。
先輩が書いてくれた紹介状を、おばちゃんに手渡した。
おばちゃんは、それに目を通すと、彼に言った。

「種目は?」

「長距離をやっています!」

「なにをなんぼで走るんや?」

彼は最近の試合で出場した種目と記録を伝えた。

「ふーん、ちょっと、足、見せてみ」

彼は靴を脱いだ。
おばちゃんは、じっと、彼の足を見つめた。

「……そこの棚の、そう、その箱を出してみ」

店内の四方の壁には、ベニヤ板で棚がしつらえてあった。
その棚には、いくつもの箱が積まれていた。
箱に印刷された文字が、彼の目に飛び込んでくる。

「オニツカタイガー」
「ハリマヤ」
「ニシ」

そこには、彼がいつの日か履いてみたいと憧れていたスポーツメーカーのシューズの箱が、整然と並んでいた。

オニツカ特約店の看板

彼は、おばちゃんに言われるままに指で棚をたどり、ひとつの箱を抜きとった。
箱の中から出したシューズは、真っ白に光って見えた。
シューズに見とれていると、おばちゃんがうながした。

「ええから、ちょっと履いてみ」

彼は黙ってシューズに足を入れてみた。
おばちゃんは立ち上がると、机の前に進み出てきてくれた。
腰を曲げてかがみ、ちょんちょんと彼のつま先に触れて言った。

「アンタには、そのクツやな」

おばちゃんは、机の向こうに戻っていって、ふたたびイスに座った。
彼は他にも色んなシューズを見てみたい気がしたけれど、おばちゃんがコワくて何も言えなかった。

少年は、その店にシューズを買いに行くようになった。

店に行くときには相変わらず緊張した。
おばちゃんは、いつもコワわかった。
おばちゃんが選ぶシューズには、いつも黙って足を入れた。
そして、シューズはいつも、不思議なくらいに、自分の足にピッタリだった。
彼は、おばちゃんに会いに行くのが楽しみになっていた。

桃谷店舗の店内から撮影したもの
字体に時代が表れている(1991年撮影)

いつ頃からか、おばちゃんは、彼の名前を呼ぶときには「さん」も「くん」もつけず、「A」と呼び捨てにするようになった。
そのことは、おばちゃんと自分との親しさの表れのようで、彼にはうれしかった。

ある日、おばちゃんは、

「A、これ持っていき」

と真新しいカタログを少年に渡した。
「ハリマヤ」の最新カタログだった。鮮やかなフルカラーに目を奪われた。

彼は、うれしかった。
おばちゃんに「一人前」のランナーとして認めてもらえたような気がした。
カタログを小脇に抱え、誇らしい気持ちで家路についた。
飽きることなく、何度も何度も、そのカタログを見返した。

少年は、小学校の先生になった。

教師の仕事は忙く、慌ただしい日々が過ぎて行った。
それでもA先生は、毎日走ることを怠らなかったし、練習日誌をつけることも欠かさなかった。
練習日誌に使うノートの最後のページには、おばちゃんにもらった、あのハリマヤのカタログを挟んでおいた。
それを見れば、ランナーとしての自分を見失わない気がした。

ランニングシューズをはき潰すと、A先生は、やはり、あの店へと足を運んだ。
そして、おばちゃんが選ぶシューズに黙って足を入れた。

「おばちゃんが選ぶシューズには間違いがない」

それが、A先生がシューズを選ぶ唯一の基準になっていた。

「先生」と呼ばれる仕事に就いてからも、おばちゃんは以前と変わりなく接してくれた。
相変わらず、「なぁ、A」と、名前は呼び捨てにされていた。
いくつになっても、それは心地よいことだった。
おばちゃんの前では、本当の自分でいられるような気がした。

おばちゃんが亡くなったと聞いたときは、とても悲しかった。
自分を支えていた何かをひとつ失ったような気持ちになった。

おばちゃんの店は、ある女性が継ぐことになったと風の噂で聞いた。

オリンピアサンワーズ川見あつこ店主
川見あつこ
二代目店主

その女性のことは、あまりよく知らなかった。

「あのおばちゃんが選んだ人だから、間違いないはずだ。でも、新しい店主は、おばちゃんの遺志を継げるだろうか?店は変わってしまわないだろうか?なにより、僕に合ったシューズを選ぶことができるだろうか?」

A先生は、ひとつの「覚悟」を決めた。

「よし、これからも、あの店でシューズを買おう。それがおばちゃんへのせめてもの供養になるだろう。そして、新しい店主がすすめるシューズは、どんなシューズだって、黙って履くことにしよう。ただし、」

A先生は、その覚悟に「期限」を定めた。

「それはこれから1年間だけだ。1年経って、新しい店主のやり方に納得しなければ、残念ながら、僕があの店に行くことはなくなるだろう」

それから1年後も、10年後も、20年後も、30年後も、そして、今も。
あの日の少年は走りつづけている。
そして、ランニングシューズをはき潰せば、オリンピアサンワーズに足を運ぶ。

「これまでの人生、僕がずーっと走ってこれたのは、二代目を継いだ川見店主のシューズ選びもまた、間違ってなかったからです。それを見極めた僕もまた間違ってなかった、てことでしょう(笑)」

A先生は、ずっと練習日誌を書きつづけている。
もう何十冊になったのかわからないが、そのノートはすべて残してあるそうだ。

「おばちゃんにハリマヤのカタログをもらった、あの日が、僕のランナーとしてのはじまりです。このハリマヤのカタログは、練習日誌のノートが変わるたびに、一番最後のページに貼っておくことにしています。ランナーとしての"初心"を、決して忘れないように」

編集メモ

  • オリンピアサンワーズの旧ブログ2014年6月7日付(その1)、9日付(その2)に公開した記事に加筆しました。

ご投稿いただいた内容は「【第7章】みんなと語るハリマヤの思い出」のページに公開させていただきます。

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最高級のインソール技術

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