【第4章】

日本初のマラソンシューズ開発
播磨屋
50年の軌跡

Japanese marathon runners wear peculiar footgear, a cross between "tabi" or Japnese socks and shoes.
These were first introduced by Shinsaku harimaya-kurosakashinsaku, 74, who back in 1903, set up a tabishop in the Otsuka section of Tokyo.

harimaya-kurosakashinsaku brought out his "marathon shoes" in 1912, and they were worn by Shizo Kanaguri in the Stockholm Olympic games.
Kanaguri is now famous as coach of star japanese distance runner who have made fine showings in the annual Boston Marathon.
But at Stockholms, Kanaguri didn't do so well in harimaya-kurosakashinsakus shoes.
Nor did Japanese marathon entrants at the Antwerp or Paris Olympic Games.

Kanaguri, however, go together with harimaya-kurosakashinsaku after each test abroad, of the letters creations, and this helped bring about improvement.

harimaya-kurosakashinsaku's shoes finally hit the Jackpot in 1951 when Shigeki Tanaka won the Boston Marathon in a pair of them.

Last year, Kanaguri took a five-man team, and Keizo Yamada, the tiniest of the bunch, copped the Boston event in the record, time of 2 hours 18 minutes 51 seconds.

This year , the Japanese kept up their good record by taking fourth, fifth, and tenth in the Beantown classic.

harimaya-kurosakashinsaku, besides putting out his shoes , today does a thriving business selling sporting goods of various types.
harimaya-kurosakashinsaku's son Katsuzo, 50, is a chip of the old block as much a sports fan as his dad.

日本語に訳す

日本のマラソン選手は、足袋と靴を合わせたような独特の履物を履いている。
これらのシューズを最初に開発したのは、1903年に東京の大塚に足袋屋を開いた播磨屋辛作氏(74)だ。

播磨屋は1912年に、その独特の「マラソンシューズ」を発売し、オリンピックのストックホルム大会では金栗四三が使用した。
金栗氏は、今や、ボストンマラソンで毎年のように好成績を残している日本人長距離選手のコーチとして有名だ。
しかし、ストックホルム大会を播磨屋のシューズで走った金栗氏は、それほど良い成績を残せなかった。
その後のアントワープ大会やパリ大会のオリンピックでも、日本のマラソン選手たちは好成績を残せなかった。

その後の金栗氏は、播磨屋とともに海外のレースへ遠征し、シューズの品質を試し、品質の改善に役立てた。

1951年のボストンマラソンでは、田中茂樹選手が播磨屋のシューズで走り優勝、播磨屋はついに大成功を収めた。

昨年、金栗氏は5人のチームを率いてボストンマラソンに乗り込み、その中で最も小柄な山田敬蔵選手が2時間18分51秒という大会新記録を樹立し優勝した。

今年も、この伝統あるボストンマラソンでは、日本人選手が、4位、5位、10位と好記録を残している。

現在、播磨屋はランニングシューズを販売するほか、さまざまなスポーツ用品も販売し業績を伸ばしている。

播磨屋辛作の息子である勝蔵(50)は、父親と同じくらいにスポーツを愛する気質を受け継いでいる。

編集メモ

  • この新聞記事は、黒坂辛作さんの「曾孫(ひまご)」さん所蔵のもの(コピー)です。
  • この記事が掲載された新聞の名前・日付など詳しくは不明。読み取れない文字もあります。
  • 黒坂辛作さんの名前を、「播磨屋(はりまや)辛作」としています。
  • 山田敬蔵選手がボストンマラソンに優勝した「1953年」が「昨年」と表現されています。よってこの新聞記事は1954年のものと推定されます。
  • 英文の翻訳には、熊父さん(兵庫県在住)、KGさん(アメリカ在住)のおふたりに多大なご協力をいただきました。感謝申し上げます。

【第4章】

日本初のマラソンシューズ開発
播磨屋50年の軌跡

Japanese marathon runners wear peculiar footgear, a cross between "tabi" or Japnese socks and shoes.
These were first introduced by Shinsaku harimaya-kurosakashinsaku, 74, who back in 1903, set up a tabishop in the Otsuka section of Tokyo.

harimaya-kurosakashinsaku brought out his "marathon shoes" in 1912, and they were worn by Shizo Kanaguri in the Stockholm Olympic games.
Kanaguri is now famous as coach of star japanese distance runner who have made fine showings in the annual Boston Marathon.
But at Stockholms, Kanaguri didn't do so well in harimaya-kurosakashinsakus shoes.
Nor did Japanese marathon entrants at the Antwerp or Paris Olympic Games.

Kanaguri, however, go together with harimaya-kurosakashinsaku after each test abroad, of the letters creations, and this helped bring about improvement.

harimaya-kurosakashinsaku's shoes finally hit the Jackpot in 1951 when Shigeki Tanaka won the Boston Marathon in a pair of them.

Last year, Kanaguri took a five-man team, and Keizo Yamada, the tiniest of the bunch, copped the Boston event in the record, time of 2 hours 18 minutes 51 seconds.

This year , the Japanese kept up their good record by taking fourth, fifth, and tenth in the Beantown classic.

harimaya-kurosakashinsaku, besides putting out his shoes , today does a thriving business selling sporting goods of various types.
harimaya-kurosakashinsaku's son Katsuzo, 50, is a chip of the old block as much a sports fan as his dad.

日本語に訳す

日本のマラソン選手は、足袋と靴を合わせたような独特の履物を履いている。
これらのシューズを最初に開発したのは、1903年に東京の大塚に足袋屋を開いた播磨屋辛作氏(74)だ。

播磨屋は1912年に、その独特の「マラソンシューズ」を発売し、オリンピックのストックホルム大会では金栗四三が使用した。
金栗氏は、今や、ボストンマラソンで毎年のように好成績を残している日本人長距離選手のコーチとして有名だ。
しかし、ストックホルム大会を播磨屋のシューズで走った金栗氏は、それほど良い成績を残せなかった。
その後のアントワープ大会やパリ大会のオリンピックでも、日本のマラソン選手たちは好成績を残せなかった。

その後の金栗氏は、播磨屋とともに海外のレースへ遠征し、シューズの品質を試し、品質の改善に役立てた。

1951年のボストンマラソンでは、田中茂樹選手が播磨屋のシューズで走り優勝、播磨屋はついに大成功を収めた。

昨年、金栗氏は5人のチームを率いてボストンマラソンに乗り込み、その中で最も小柄な山田敬蔵選手が2時間18分51秒という大会新記録を樹立し優勝した。

今年も、この伝統あるボストンマラソンでは、日本人選手が、4位、5位、10位と好記録を残している。

現在、播磨屋はランニングシューズを販売するほか、さまざまなスポーツ用品も販売し業績を伸ばしている。

播磨屋辛作の息子である勝蔵(50)は、父親と同じくらいにスポーツを愛する気質を受け継いでいる。

編集メモ

  • この新聞記事は、黒坂辛作さんの「曾孫(ひまご)」さん所蔵のもの(コピー)です。
  • この記事が掲載された新聞の名前・日付など詳しくは不明。読み取れない文字もあります。
  • 黒坂辛作さんの名前を、「播磨屋(はりまや)辛作」としています。
  • 山田敬蔵選手がボストンマラソンに優勝した「1953年」が「昨年」と表現されています。よってこの新聞記事は1954年のものと推定されます。
  • 英文の翻訳には、熊父さん(兵庫県在住)、KGさん(アメリカ在住)のおふたりに多大なご協力をいただきました。感謝申し上げます。

ご投稿いただいた内容は「【第7章】みんなと語るハリマヤの思い出」のページに公開させていただきます。

ご投稿いただいた内容は「【第7章】みんなと語るハリマヤの思い出」のページに公開させていただきます。

オーダーメイドを極めた
最高級のインソール技術

当店が作成するオーダーメイドのインソール(中敷)は、 アメリカに本社のあるアムフィット社製。あなたの足型をインソール上に再現する画期的なシステムが足とシューズのジャストフィットを実現します。パフォーマンスアップ、ケガや故障の防止、疲労軽減、アライメント補正など多くの効果が実証されています。

オーダーメイドを極めた
最高級のインソール技術

当店が作成するフルオーダーメイドのインソール(中敷)は、 アメリカに本社のあるアムフィット社製。あなたの足型をインソール上に再現する画期的なシステムが足とシューズのジャストフィットを実現します。パフォーマンスアップ、ケガや故障の防止、疲労軽減、アライメント補正など多くの効果が実証されています。

どうぞ
なんでもお気軽に
ご相談ください。

どうぞ
なんでもお気軽に
ご相談ください。

C O N T A C T

ご予約・お問合せはお気軽に

電話のアイコン

電話でご予約・お問合せ

メールのアイコン

メールでご予約・お問合せ

C O N T A C T

ご予約・お問い合わせはお気軽に

電話でご予約・お問合せ

メールでご予約・お問合せ

FOLLOW US