【序章】

日本のマラソンをつくった
金栗四三と「もうひとりの男」

拝啓、
黒坂辛作殿。

今年も、たくさんのランナーたちが全国各地のマラソン大会に参加し、42.195kmという過酷なレースに挑戦しています。

日本マラソンの父」と称される 金栗四三さんのことは有名です。
日本人で初めてのオリンピック選手。
箱根駅伝をはじめ、多くのマラソン大会実現に尽力。
ランナーの高地トレーニングをいちはやく導入・実践するなど、日本の長距離選手の育成に懸けた生涯。
そして、 1912年に出場した ストックホルム五輪のマラソンを、「54年と8ヶ月6日5時間32分20秒03」という歳月をかけて「完走」したエピソード(※)は、いつの時代にあっても人々の胸を打ち、語り継がれています。

『マラソンの父・金栗四三伝 走れ25万キロ』
(長谷川孝道著・熊本日日新聞社)

しかし、日本マラソンの黎明期において、金栗さんをはじめ多くのランナーたちの足袋やシューズを開発し、金栗さんとともに世界のマラソンに戦いを挑みつづけた 「もうひとりの男」が存在していたことを、私たちは長い間知りませんでした。

金栗さんは、ストックホルム五輪でフルマラソンを足袋で走りました。
その足袋をつくった「播磨屋足袋店」が、戦後にはシューズメーカー 「ハリマヤ」となります。

その巧みな技術から生み出す「ハリマヤ」のランニングシューズは、たくさんの陸上競技選手やランナーたちに愛されました。

【第3章】山田敬蔵のカナグリシューズ

【第5章】あの日の少年は今も走りつづけている

しかし「ハリマヤ」は、日本のバブル経済がはじけた時を同じくして、忽然(こつぜん)と姿を消してしまいました。

【第6章】ハリマヤ最後の8年

「ハリマヤ」のシューズを履いて走ることができたランナーは幸せです。
あれほど日本人の足に合うシューズはありませんでした。
だから「ハリマヤ」がなくなって、もう30年以上の年月が経っているにもかかわらず、オリンピアサンワーズには、「ハリマヤ」を愛する人々から、今もなお、たくさんの声が届きます。

【第7章】みんなと語るハリマヤシューズの思い出

【第12章】ハリマヤを支えた無名の女性たち

ハリマヤのマラソンシューズ
(オリンピアサンワーズ蔵)

「ハリマヤ」を語る時、人は誇らしげで、自慢げで、少々照れくさそうです。
なぜなら、「ハリマヤ」の名を口にする時、私たちは思い出しているからです。

競技場のトラックに吹いた風を。
真夏の炎天下のグラウンドを。
夕陽を背に追いかけた長い影を。
寒い朝の白い息と蒸気する汗を。

「ハリマヤ」を語る時、人は「あの頃の自分」を語っています。
私たちにとって「ハリマヤ」とは、そういうシューズです。

2012年。
金栗さんが出場されたストックホル五輪からちょうど100年が経ったある日のこと。
当店のブログに書いたひとつの記事をきっかけに、私たちのもとに、 ある女性からお手紙が届きました
そして、 「もうひとりの男」の偉業を伝える貴重な新聞記事の資料を送ってくださったのです。

【第2章】我、世界に勝つ。

【第4章】マラソン足袋開発50年の軌跡

私たちは、はじめて知りました。
「ハリマヤ」をつくったのは、あなただったのですね。

1903年、あなたは東京大塚に小さな足袋店を創業する。
そこに、学生だった若き金栗青年が足袋を買いに訪れる――このふたりの出会いこそが、日本のマラソンとランニングシューズの壮大な物語の「はじまり」でした。

【第1章】歴史は足袋からはじまった

金栗四三さんが「日本マラソンの父」と呼ばれるのであるならば、あなたがつくった足袋やシューズは 「日本のランニングシューズの原点」と呼ばれてもよいはずです。

「ハリマヤ」はなくなってしまったけれど、そのシューズづくりの技術は、未来へとつながるべきものです。

ハリマヤのカタログ1989年度版
(オリンピアサンワーズ蔵)

奇しくも、私たちがあなたの存在を知った同じ 2012年の年末。
テレビ番組 「開運!なんでも鑑定団」に金栗さんのマラソンシューズが出品され、オリンピアサンワーズの二代目店主・川見あつこが鑑定を行いました。

【第8章】鑑定・金栗四三のマラソンシューズ

2016年夏には 小説『陸王』が発売、2017年秋にはテレビドラマ化もされました。

すると、『陸王』の「老舗の足袋屋がマラソンシューズづくりに挑戦する」という物語の内容から、「ハリマヤ」と「マラソン足袋」の歴史に脚光が当たりました。
その影響から、川見店主のもとには、新聞やネットなど、様々なメディアから「ハリマヤ」に関する問い合わせが相次ぎました。

【第9章】消えたハリマヤシューズを探して

【第10章】『陸王』がつないだハリマヤ100年のドラマ

小説『陸王』
(池井戸潤著・集英社)

2019年のNHK大河ドラマ 「いだてん~日本オリムピック噺」では、金栗さんが主人公となり、なんと、あなたも登場しました。
このドラマの制作には、オリンピアサンワーズも資料提供などで協力しました。

【第11章】川見店主に聞くカナグリシューズの秘密

NHK大河ドラマ「いだてん」完全シナリオ集 第1部
(文芸春秋社)

このサイトは、あなたの偉業を語り残すために、「ハリマヤ」を愛するたくさんの人からご協力をいただきながら、オリンピアサンワーズが勝手につくりあげたものです。

今日も日本のどこかでマラソン大会が行われています。
たくさんのランナーたちが、思い思いのランニングシューズを履いて42.195kmに挑んでいます。

金栗さんとあなたの物語は、今もつづいています。

敬具

編集メモ

1912年。
金栗四三は、 第5回オリンピック・ストックホルム大会に日本人初のオリンピック選手としてマラソンに出場するも、レース途中にあえなく棄権してしまった。
これを大会側に申告しなかったため、金栗四三はレース中に 「消えたランナー」とされた。

1967年。
スウェーデン五輪委員会がストックホルム五輪の55周年記念式典に「消えたランナー」を招待する。
白髪になった75歳の金栗四三はコート姿で競技場を走り、特別に用意されたゴールテープを切って「完走」した。
その瞬間、場内にはアナウンスが流れた。

日本の金栗、ただいまゴールイン。
タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3。これをもって第5回ストックホルム・オリンピック大会の全日程を終了します――。

【序章】

日本のマラソンをつくった
金栗四三と「もうひとりの男」

拝啓、
黒坂辛作殿。

今年も、たくさんのランナーたちが全国各地のマラソン大会に参加し、42.195kmという過酷なレースに挑戦しています。

日本マラソンの父」と称される 金栗四三さんのことは有名です。
日本人で初めてのオリンピック選手。
箱根駅伝をはじめ、多くのマラソン大会実現に尽力。
ランナーの高地トレーニングをいちはやく導入・実践するなど、日本の長距離選手の育成に懸けた生涯。
そして、 1912年に出場した ストックホルム五輪のマラソンを、「54年と8ヶ月6日5時間32分20秒03」という歳月をかけて「完走」したエピソード(※)は、いつの時代にあっても人々の胸を打ち、語り継がれています。

『マラソンの父・金栗四三伝 走れ25万キロ』
(長谷川孝道著・熊本日日新聞社)

しかし、日本マラソンの黎明期において、金栗さんをはじめ多くのランナーたちの足袋やシューズを開発し、金栗さんとともに世界のマラソンに戦いを挑みつづけた 「もうひとりの男」が存在していたことを、私たちは長い間知りませんでした。

金栗さんは、ストックホルム五輪でフルマラソンを足袋で走りました。
その足袋をつくった「播磨屋足袋店」が、戦後にはシューズメーカー 「ハリマヤ」となります。

その巧みな技術から生み出す「ハリマヤ」のランニングシューズは、たくさんの陸上競技選手やランナーたちに愛されました。

【第3章】山田敬蔵のカナグリシューズ

【第5章】あの日の少年は今も走りつづけている

しかし「ハリマヤ」は、日本のバブル経済がはじけた時を同じくして、忽然(こつぜん)と姿を消してしまいました。

【第6章】ハリマヤ最後の8年

「ハリマヤ」のシューズを履いて走ることができたランナーは幸せです。
あれほど日本人の足に合うシューズはありませんでした。
だから「ハリマヤ」がなくなって、もう30年以上の年月が経っているにもかかわらず、オリンピアサンワーズには、「ハリマヤ」を愛する人々から、今もなお、たくさんの声が届きます。

【第7章】みんなと語るハリマヤシューズの思い出

【第12章】ハリマヤを支えた無名の女性たち

ハリマヤのマラソンシューズ
(オリンピアサンワーズ蔵)

「ハリマヤ」を語る時、人は誇らしげで、自慢げで、少々照れくさそうです。
なぜなら「ハリマヤ」の名を口にする時、私たちは思い出しているからです。

競技場のトラックに吹いた風を。
真夏の炎天下のグラウンドを。
夕陽を背に追いかけた長い影を。
寒い朝の白い息と蒸気する汗を。

「ハリマヤ」を語る時、人は「あの頃の自分」を語っています。
私たちにとって「ハリマヤ」とは、そういうシューズです。

2012年。
金栗さんが出場されたストックホル五輪からちょうど100年が経ったある日のこと。
当店のブログに書いたひとつの記事をきっかけに、私たちのもとに、 ある女性からお手紙が届きました
そして、 「もうひとりの男」の偉業を伝える貴重な新聞記事の資料を送ってくださったのです。

【第2章】我、世界に勝つ。

【第4章】播磨屋のマラソン足袋開発

私たちは、はじめて知りました。
「ハリマヤ」をつくったのは、あなただったのですね。

1903年、あなたは東京大塚に小さな足袋店を創業する。
そこに、学生だった若き金栗青年が足袋を買いに訪れる――このふたりの出会いこそが、日本のマラソンとランニングシューズの壮大な物語の「はじまり」でした。

【第1章】歴史は足袋からはじまった

金栗四三さんが「日本マラソンの父」と呼ばれるのであるならば、あなたがつくった足袋やシューズは 「日本のランニングシューズの原点」と呼ばれてもよいはずです。

「ハリマヤ」はなくなってしまったけれど、そのシューズづくりの技術は、未来へとつながるべきものです。

ハリマヤのカタログ1989年度版
(オリンピアサンワーズ蔵)

奇しくも、私たちがあなたの存在を知った同じ 2012年の年末。
テレビ番組 「開運!なんでも鑑定団」に金栗さんのマラソンシューズが出品され、オリンピアサンワーズの二代目店主・川見あつこが鑑定を行いました。

【第8章】鑑定・金栗四三のマラソンシューズ

2016年夏には 小説『陸王』が発売、2017年秋にはテレビドラマ化もされました。

すると、『陸王』の「老舗の足袋屋がマラソンシューズづくりに挑戦する」という物語の内容から、「ハリマヤ」と「マラソン足袋」の歴史に脚光が当たりました。
その影響から、川見店主のもとには、新聞やネットなど、様々なメディアから「ハリマヤ」に関する問い合わせが相次ぎました。

【第9章】消えたハリマヤシューズを探して

【第10章】「陸王」がつないだハリマヤ100年のドラマ

小説『陸王』
(池井戸潤著・集英社)

2019年のNHK大河ドラマ 「いだてん~日本オリムピック噺」では、金栗さんが主人公となり、なんと、あなたも登場しました。
このドラマの制作には、オリンピアサンワーズも資料提供などで協力しました。

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今日も日本のどこかでマラソン大会が行われています。
たくさんのランナーたちが、思い思いのランニングシューズを履いて42.195kmに挑んでいます。

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1912年。
金栗四三は、 第5回オリンピック・ストックホルム大会に日本人初のオリンピック選手としてマラソンに出場するも、レース途中にあえなく棄権してしまった。
これを大会側に申告しなかったため、金栗四三はレース中に 「消えたランナー」とされた。

1967年。
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これをもって第5回ストックホルム・オリンピック大会の全日程を終了します――。

ご投稿いただいた内容は「【第7章】みんなと語るハリマヤの思い出」のページに公開させていただきます。

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オーダーメイドを極めた
最高級のインソール技術

当店が作成するオーダーメイドのインソール(中敷)は、 アメリカに本社のあるアムフィット社製。あなたの足型をインソール上に再現する画期的なシステムが足とシューズのジャストフィットを実現します。パフォーマンスアップ、ケガや故障の防止、疲労軽減、アライメント補正など多くの効果が実証されています。

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